大阪地方裁判所 昭和46年(ワ)3985号 判決 1981年10月16日
原告
藤崎国義
原告
藤崎シケ子
右両名訴訟代理人
香川文雄
被告
栗本建設工業株式会社
右代表者
中積治一
右訴訟代理人
中元勇
被告
野川徳二
右訴訟代理人
前川信夫
主文
原告らの請求を棄却する。
訴訟費用は、原告らの負担とする。
事実《省略》
理由
<前略>
二被告野川徳二に対する請求について
1 昭和四二年一〇月一三日原告国義が全身打撲、右大腿骨骨折、左下腿骨骨折等の傷害を受け、同日外科医である被告野川の経営する野川病院に入院し、それ以来継続して同被告とその被用者たる医師小川亮恵の診療を受けたことは、原告ら、同被告間に争いがない。そして右によれば、原告国義と被告野川との間には、入院当日以降同被告において同原告に対し善良な管理者の注意をもつて当代の医学水準に照らし傷害の治癒に向けられた適切な診療行為を選択、実施すべき義務を負つた診療契約が成立したものというべきである。この点に関し原告らは、さらに同契約上同被告において同原告の傷害を完治させる義務を負つたと主張するが、この考え方には賛成することができない。
2 原告国義は、野川病院に入院後昭和四二年一〇月二一日原告ら主張のような手術を受け、その後背部に褥創を生じ、術後一ケ月後には右大腿骨髄炎となり、昭和四三年四月二四日には金属プレートの除去手術を受け、その後退院し、しばらく通院したことは、原告ら、被告野川間に争いがない。
右争いのない事実に<証拠>を総合すれば、次の事実が認められ<る>。
昭和四二年一〇月一三日午前九時三〇分ころ、原告国義は全身打撲、右大腿骨骨折、左下腿骨骨折、左下腿切創の傷害により、被告野川経営の野川病院に入院した。
同野川は、即日同原告を診察し、同原告が骨折に伴う出血性のショック状態であつたので、まず全身状態の安定を図るため血液代用剤、果糖、止血剤、クロロマイセチン(抗生物質)等を投与し、骨折について根治手術の実施を留保し、同手術の施行までの苦痛を緩和するため、右大腿骨骨折については鋼線により牽引(骨に穴を開け鋼線を通し、それにおもりをつけて引つ張り、骨折部の骨同仕が接触して痛みを感ずるのを防ぐ手術)を行い、シーネ固定(副木をあて包帯で巻き固定する。)を、左下腿骨骨折にはシーネ固定をそれぞれ施し、以後同月二一日の根治手術までは、ブドウ糖、化膿止め、腫れ止めのためのクロロマイセチン、ピロサイクリン(抗生物質)等を投与した。同月二一日同原告の体調が整つたので、被告野川と同被告に雇傭された小川亮恵医師の両名の執刀で骨折について根治手術が行われ、特に右大腿骨骨折については、骨折部に金属プレートを当て骨にビスで止め、骨折部を固定する手術がされ、胸(両乳の上)から下半身、足の先までをギプス(石膏をしみ込ませた包帯で巻く方法の固定術)で固定した。
同月二一日の手術後は、化膿止めのためピロサイクリン(抗生物質)等を投与し、一〇月三〇日からはギプスによる腰部の褥創の治療にかかり、一一月三日からはギプスに長さ二〇センチの細長い穴を開け、手術創の消毒、ガーゼ交換等の治療をした。原告国義の病状は、体温も三七度を越えたことは余りなく、化膿はないとの当初の判断であつたが、同月二〇日ころから発熱し、同月二三日には膿が認められたので、化膿による右大腿骨髄炎の発生の可能性を認め、膿の細菌学的検査、抗生物質に対する細菌感受性検査がなされ、同月二九日各検査結果から右大腿骨髄炎と診断された。そのため、同被告は、翌三〇日手術した部分を再切開し、膿の出易いようにドレン(管)を入れ、感染した菌に効果のあると判明したテトラサイクリン系の抗生物質であるピロサイクリンの投与を継続することを決め、ただ、右抗生物質は副作用が強いため連続投与はできないので、一週間前後の間隙を置き、その間は抗生物質のシグママイシンをもつてこれに代え、また、抗生物質の一般的な副作用である胃腸障害のためにはDM(胃腸薬)を投与した。また、同じ抗生物質を長期間投与するのは副作用の点から好ましくないという判断から、時には抗生物質をベンブリチンに変更した。その間も毎日のように右大腿部、腰部について消毒、ガーゼ交換等の外科的処置を講じ、一カ月に一度の割合でギプスの交換もしていた。右のような治療を継続したところ、昭和四三年二月一〇日ころには腰部褥創は治癒し、左下腿骨骨折等も、それ以前に治癒した。同年四月二四日には、骨髄炎は完治していないが、発熱もおさまり、骨も接着したので、体内から金属プレートを除去する手術をした。しかし、その後も骨髄炎は完治せず、同年五月二七日には右大腿部を再切開し傷をかき出し消毒等をした。そうして、原告国義が歩行可能となつたことや、労災保険による治療の場合発行可能な場合は通院治療が原則であることによる労働基準監督署からの要請や、長期間のギプスによるひざの関節の運動障害の除去のため等から、被告野川は原告国義を同年六月二〇日に退院させ、以後は通院治療に切替えた。同原告は、同年九月二七日転医するまで野川病院に通い治療を受け続け、完治には至らなかつたが、右通院の間ひざの運動障害は徐々に消滅に向つていた。
判旨3 以上の経過事実において、被告野川が原告国義に対してなした診療措置が完全ないし最善のものであつたかどうかには、もちろん疑問が残らないではないが、全体として当時の医療水準に照らし適切なものであつたと推認するのが相当である。
(一) 原告らは、原告国義の入院時から骨折部に対する固定手術の実施時までの期間が長きに過ぎたというが、被告野川においてはその間負傷後の同原告の全身状態が安定するのを待つていたというのであるから、この点を捉えて非難するのは当らないであろう。
(二) また原告らは、右手術の際の消毒が不完全で、抗生物質の選択を誤り、その後の措置も行届かなかつたので、原告国義が骨髄炎に罹患したというが、証人小川亮恵及び被告野川本人の各供述によれば、同被告及び小川医師としては、同原告に対する手術の際における局部、手術器具等の洗浄、消毒には適当な道具、材料を用いて十分な注意を払つていたし、その後の同原告に対する診療においても通常医師としてなすべき臨期応変の措置を怠つていないこと、ただ一般に、手術器具、材料等の煮沸消毒をしても緑膿菌等一部の細菌は死滅せず、また空気中の細菌も完全には死滅させることができず、また、ギプスを消毒することは性質上できないものであり、特に手術医、患者等の人体の毛穴等に存する細菌までは処置不可能であるから外科手術に際して手術部位から細菌の侵入を防ぐことは完全にはできず、炎症、化膿等を招来することは不可避の場合が多いことが認められる。それ故、同原告の骨髄炎罹患の結果から遡つて同原告及び小川医師の診療行為を非となすことは、当を得ないものである。
被告野川につき診療契約上の義務の不完全履行があつたとなす原告らの主張も、理由がないものである。<以下、省略>
(戸根住夫 大谷種臣 新井慶有)